木曜

さておそらくは小児科にかかった際に、待合室で別な風邪をもらったようで。連休中は途中で一日寝込んだ。しかしこの風邪②は風邪①よりも軽く素早く済んだので良かった。その他はだいたい家で退屈した子供がおままごと用の食器に水を注ぎまくり、床が水浸しになり、それを拭いたタオルを干したりして時間が過ぎていった。

 

去年、鳩にベランダを占拠されて鳩の仔が三羽産まれてしまって大騒ぎの末に巣立っていきましたが、今年も気をつけて追っ払っていたはずなのに気づいたらまた鳩の仔が三羽育っていた。なんなんだ。まだぜんぜん飛べないようで、ピーピー鳴いて親鳥を呼んでいる。巣の本体は隣の部屋のベランダにあって、うちのベランダは出入口にされている……(去年と同じ)
こっち側に来れないようにブロックでも置いて塞いでしまいたいんだが、それで鳩がベランダから出られなくなったり親鳥が餌を持って来れなくなったりすると三羽の仔鳩の死体が隣のベランダに転がることになるので余計に嫌だ。あ~~~焼鳥にしたいわ~~~~!

 

というか二年連続で同じ手口で同じことされてるんで、うちも隣の家もたぶん鳩よりも馬鹿だしあんまりベランダに興味ないんでしょうね。うちはアレルギー持ちだからほとんどベランダに洗濯物を干さないし、隣も仕事が忙しい単身者らしくて、ほぼ家にいるの見たことないし。じゃあ別に鳩がベランダに居ても困らないんじゃないかな? うーん。ベランダの見た目が汚くなってウザいという以外に害はないのかもしれない。

 

知らない間にcakesがまた炎上していた。というか去年と同じ人が去年と同じコーナーで去年と同じ感じに燃えてる。こっちも鳩並みというか鳩に二連続で巣を作られる私並みだな…去年のそれがあったのにまだそのコーナー続けてたんだ???っていうので超ウケるし、いやいやウケてる場合ではない話題なのだが、その質問と回答を私も読んだけど、あー、こういう答え方する大人ってたくさんいるよね…と思った。こんな答え方しかできないなら、やらなきゃいいのに。というか、これに限らず「有名人が公の場で人生相談に乗る」という体の記事ってよくあるけど、おいおいその回答で大丈夫なのか?っていうのは結構あって、相談に乗る側の適性と寄せられる相談の種類(それと読者層)とのマッチングって実は相当難しくてセンシティブなものなんだけど、あんま分かってない感じで危うい運営してるケースはたくさん見る。もうやめたらいいんじゃないですかね。

 

あと「自分のほうがもっとうまく回答できるぞ」みたいな人がたくさん湧いてきちゃって、そっちは読んでないけど、いやーまあ怖いですねえ。自分に自信がありすぎる人が多いのか…その自信はどこから湧いてくるんだろう。

 

SNSを見たり投稿したりするの少し控えようと思ってて、そのぶんの時間が暇になったしせっかくだからcakesの色んな記事を定期的に読んでみようかなと、見に行ったけど、そんなに読みたい記事が無かった。ただ意外とnoteで前から見かけてた作家やライターの人たちが連載持ってたり、あるいはイラスト担当されたりしてて、あー順調に活躍されてる人もいるんだなと、それを知れただけでも収穫だった。

 

他には、漫画サイトで適当に無料のを読んだりしてるけど、まだ感想を言うほど読み比べてないので、またそのうち書くかも。

 

静かな連休

一年以上ぶりに子供ががっつりと重い風邪をひいて、平日がほとんど潰れた。そのまま連休に突入。

咳もするし熱も出るし長引くし、で、平時なら病院にかかるかどうか迷うくらいの「高めの微熱」ではあったけど、こういうときなので念のため小児科へ。結局コロナではなかった。そのときにPCR検査と抗原検査の違いとか、検査の精度や医師の診察を併用する重要性などを改めて調べて、まあ分かったような分からないような。その分かったような分からないようなのを、職場や保育園にどこまで説明して、どう伝わるのかも想像つかない。とくに職場は完全に昔ながらの体育会系ブラック企業で、風邪をひくのはたるんでる証拠!みたいなノリをいまだにやってる所なので……(眩暈が…)まあとにかく病院で診察と検査もしてもらってコロナじゃなかったですと、短めに報告して済ました。

(あ、念のためですが、住んでいるところは大都市ではありません。だからいまニュースとかで注目されてる地域とはだいぶ雰囲気違うと思う)

 

小児科の先生はビニール手袋、保護メガネしてた。診察を補助する看護師さんもビニールの割烹着みたいなの着てたかな。ほんと頭が下がりますよねえ。

 

連休が始まり、天気はそこそこ良かったり悪かったり。気圧が低くて、ときどき息苦しい。あと地震がきたり。子供がわりとおとなしめに室内遊びをしてくれてるのはありがたい。風邪が治ったばかりなのと、外が強風でビュービュー音がするのが怖くて、あまり外に出たくないらしい。

 

小説の連載も終わったし暇だな。何しようかなー。

 

静かな日曜

賑やかな所は避けたいので、何かテイクアウトで買って公園でピクニック的な感じで食べよう、と子どもを説得。人形用のベビーカーにクマのぬいぐるみを乗せて押しながら、ご機嫌で歩いてくれたが、店まで来たら長蛇の列で、とても入れる雰囲気ではなかった。たぶん多くの家族連れが同じことを考えていたようで。外にもドライブスルーのレーンに車がぎっしり。

しょうがないので何も買わず引き返した。子どもには、今日はダメだったわ、ごめんね、と言ったら、うーんそっか……という顔ですぐに受け入れてくれた。たまにそういう、極端に聞き分けのいい時があって、なんか申し訳ないなあと思ってしまう。

近所のスーパーのほうは空いていたので、そこでおにぎりとか買って団地内の公園で食べた。

 

一年経って、一周まわって元に戻って来た感じがある。去年の今ごろも世の中はこうで、ネット上で交わされる議論も、「ニュース」で取り上げられる話題も同じ。この一年でたくさんの人がSNSや投稿サイトをやめたり、更新を減らしたり、アカウントを変えて去って行ったりした。コロナのせいかもしれないし、違う理由かもしれない。まあそれはいいんだけど。私もこの一年で散々な思いをしたし、さすがにもうそろそろいいかなという感じだ。まあ何がどうっていう、はっきりしたことは言えないけど、心が折れたというか気力が尽きたというか……またそういう話なの?去年したじゃん!っていう記事をいくつも見ることになって。それを見ることになったという時点で、それは見てる自分が悪いんだから。

 

何かを発信し続けてる人ってほんとうに偉いなーと思った。評価がもらえないとか批判をされるとかより、言っても言っても何も変わらない、伝えたつもりが何も伝わってない、っていうときが一番心にくるんじゃないかな。相変わらず喧嘩腰な人も多いし、そういう「強い口調」の人の強さ、かっこよさに引きずられて「なんとなく賛同」してしまう人だってたくさんいるのだろう。そういうの色々見ていて怖いなと思う。悪意を撒き散らす人達よりも、善意や正義で頷き合ってどこぞに突き進んでいく集団が怖い。私も自分の好きかってにしてるつもりで、いつの間にかそういう「流れ」の一部に入ってたりするんだろうかね。すべてが疑わしく、恐ろしくなってしまう。

 

近頃は何もする気がしない。文章も書いてないし、絵の練習も止まってるし、読書とか何かを鑑賞するとかも気が乗らず…。鬱だからしょうがないね。仕事のほうも、なんだかんだで、最悪な状態ではなくなったけど、良くもない、みたいな。ただ弊社の業界はこのご時世にちょっとプチバブルみたいなの来て潤ってるらしい。こんなときに、潤ってる業界もあるんですねえ。私はその一番下の下っ端で雑用をしておこぼれにあずかる立場だけど……なんなんだかな。経営陣もすごく体質が古くて私は好きになれないが、こういうときにクビにもされずそこそこいい条件で(パートだけど)雇い続けてもらえるんだから、我慢できないってほどでもないか。という感じ。

まあ仕事なんて何でもいいんですよ。はやく何事もないまま数年経ってほしいな。たまに、こう、人生に早送りボタンとか無いのかなって思う。2021年はそろそろ年末でいい気がする。というか、まだ2020年が続いてるような気もするけど。

 

怖い映画と小説

そこそこ調子は良い。何しろ、近ごろは、部屋が片付いています。しかし胃もたれや胸やけは治まったり再発したり…薬の副作用なのかもしれない。

 

最近は、昔好きだったラジオのアーカイブを聞いている。宇多丸さんの映画批評のコーナーとか、町山さんがゲストで来てる回とか。それのすごく古いやつ。ほとんどは私の観たことのない映画だけど、この批評コーナーの音声は何度聞いても楽しい。とくに気に入ってる酷評の回がいくつかあって、もう50回ずつは聞いてると思う。これ音声ファイルで売ってくれたりしないのかな……

 

他には、今日はホラー小説を一冊読んだ。

 

私は30歳くらいまで怖い映画が全然観れなかったので、怖い話けっこう好きなんだけど、観るのは怖いからってネットでネタバレ感想サイトみたいなのを巡って文字だけで楽しんでいた。今は、お化けや殺人鬼が出てきて人が死ぬとかはすっかり平気になってしまったけど、こんどは映画を観る暇がなくてやっぱり観れてない。あとじっさいそんなに試してみてないので「どの程度」の怖さなら耐えられるのかよく分からない。いかにも痛そうな拷問シーンとかはいまだにキツそうな気がするな……。それに、家でDVD観るならいいけど映画館で逃げ場がない大画面だったらやっぱり怖くない?とか。まあでもそれはそのとき怖いだけだから、いいか。20代のうちは、観てしまうと何時間も具合悪くて、ほんと吐きそうな気持ち悪さがずっと続いて、そのあと何日も眠れなくて倒れてしまうとか、そういう感じだったので、冗談でも観ることができなかった。鬱の治療中だったというのもあるんだろうけど、でも子供の頃からほんとに想像力が強すぎて普通の子が観てるようなアニメとかでも観られないことがあった。

 

少しずつ、文章なら大丈夫とか絵なら大丈夫とか、ホラー的な演出のないサスペンスなら大丈夫とか、鑑賞できるものが増えてったわけだけど。そういえば私は大人向けの本格的なミステリーを読んだのは(古典的なもの以外では)森博嗣の「すべてがFになる」が最初だけど、あれでもけっこう怖かった。あの密室から死体が出てくるシーンを夜に思い出すのは嫌だったな。だって手足を切り落とされた死体が台車に乗って廊下を走って来るんですよ? 絶対怖いって。

 

そういうわけで今でも「今すぐ観たくはないがたまに思い出して味わいたいホラー映画」はネットで検索して感想ブログとかを読みます。お気に入りは「オーディション」「インプリント〜ぼっけえ、きょうてえ〜」「アンチクライスト」とか。観たことないのにお気に入りという不思議……他人の感想とかあらすじ紹介とかを何度も読む。しかし最近さすがに「ブログ」が減ってきたのか、私の検索能力が落ちたのか、前ほどいい記事が見つからない。Filmarksとかだと一人でそんなに長々と感想書いてくれる人が少なくて、物足りないんですよね。

 

ていうかオーディションとぼっけえきょうてえは原作小説があるんだからそっちを買えばいいのに。と思って今日は急に岩井志麻子ぼっけえ、きょうてえを買った。電子書籍は思いついた日にすぐ買えるのが良い……表題作の「ぼっけえ、きょうてえ」含めて四篇の「昔の貧しい村社会ホラー」みたいなの入っていて、どれもじっとりしていました。ただ「ぼっけえ、きょうてえ」は映画の紹介ブログを読むとドロドログロホラーの印象だったんだけど、原作はそうでもなく、むしろセンチメンタルな感じもあって、女郎の主人公の語りの切なさが良くて泣いた。何ヶ所か涙が出る文章があって、読み終わって心が洗われて軽くなった気がした(たぶん小説がどうこうじゃなくて最近ストレス溜まってるという私側の問題)。ずっと地獄絵図だけど、夢かうつつかみたいな感じで、えげつない現実の描写ではなく「あの世」の幻影を見てるような……あとたぶん、これは歳食ってしまうと良くない点だけど、自分が女性で子供も産んだことある身で、そっから数年経ってしまってるせいで、もう水子がどうしたこうした言われてもそれほど「呪術的な怖さ」を感じられないというのもある。感じられないというのはダメですね。だんだんホラーに耐性ができて色々読んだり観たりできるようになるのはいいんだけど、「感じない」んだと意味がない。そういうジレンマ。これ、将来また「感じられる」ようになることあるのかな?

 

その他は四篇目に入ってた件(くだん)の話が面白かった。ちょっとミステリー風味なところがあって。ただまあこれは四篇ともだけど、くどくど長いなという気もした。オチがもう付いてるのにそこからネチネチ続くから。そのねっちりとした陰湿さがいいのかもしれないけど。さすがに一気に全部読んだら気分悪くてふらふらになったが、昼ご飯食べたら治った。お腹が空いてただけか。

あと漁村に嫁に来た女が村に馴染めなくてどうのこうのするって話は、私は転勤族の妻なので身につまされる気がして、いつの時代も同じだなとか思った。

 

思い出すことのメモ

(身バレしたくないんで嘘が入っています。)

 


関東の工業地帯の、片田舎の町で、どこにでもある普通のチェーン店の店員として働いていたことがあって、当時の時給は800円(通勤にかかる交通費は出ない)で、沢山の商品知識を暗記して超人的な速さでレジをさばきながら体育館のような広さの店内を駆けずり回って重たい商品を出し入れし続ける仕事で、いつも汗だくで、一秒も立ち止まっている暇がなく、トイレに行く時間も無く、昼休みの間はずっと先輩のパートさん達から、近所で一家心中があった話と、前年にその店で働いていた人が仕事中に流産した話をされ、「食事中にやめてくださいよ」と言ってもそれが止むことはなく、ご飯の味がしなかった。

 

本社から通達される社訓は「一人で三人分働け」だった。それは実質的にはお前らの時給は普通の人の三分の一だという意味に聞こえた。正社員の店長は毎日サービス残業し、週に二度の休日にもサービス出勤し、休みなく働き続けたがそれでも仕事が片付くことはなかった。本社からその店舗にくだされる評価はいつも「悪い」だった。店長はそれが店員達の熱意が足りないせいだと言って強く叱った。たいていのパートやアルバイトは半年以内に辞めた。だから常に新人を雇い直してゼロから教育しなければならず、それで誰かが新人に付きっ切りで色々教え込んでいるとまた仕事が滞って怒られた。

薄利多売の店だし、土地柄も土地柄なので、来店する客もヤンキー崩れのような人達ばかりで、トイレを汚すし万引きするし意味不明な苦情を言った。

 

 

その店で私とほぼ同時期に働き始めたパートの伊東(仮名)っていう人が、ある日、ふと「私は〇〇の人達は好きじゃないんですよね」と、私に向かってちょっと得意げに言った。

それは完全な差別発言だったので私はイラっとして、「そうですか? なんで?」と聞いた。

「だって〇〇の人達は××じゃないですか」と伊東はよくネットの掲示板とかTwitterクソリプに書いてあるようなことを言った。

「そうですか? 〇〇の人の知り合いとかいるんですか?」と私は聞いた。

「いないけど」と伊東。

「私が大学で知り合った〇〇の人達はみんないい人でしたけどね」と、私はなるべく世間話に聞こえるような調子で言った。

「そりゃ大学に学びに来ているような人達はそうでしょ」と伊東は言い、それからがらりと口調を変えて、「ちなみに私は中卒なんで、高校や大学の〇〇なんて知りませんからね!」と言った。

私は、はあそうですか、みたいな返事をして、会話はそこで終わった。

 


伊東の家には、病気で仕事を辞めた父と、パートでそれを支える母と、仕事してるんだかしてないんだか分からないパチンコ中毒の兄と、ぼけて一日中テレビを見ている祖母がいて、伊東はその人達全員分の家事をしながら店員のパートをして家にお金を入れていた。高校は途中で辞めさせられたそうだ。兄は食べ物にうるさく、夕食のおかずが少しでも口に合わないと激しい音を立ててテーブルを叩き、作り直させる。父は仕事を辞めてからもキャバ嬢との不倫を続けており、母は「男だからしょうがない」と言ってそれ自体には大して怒りもしない。「今キャバクラにいるので迎えに来てくれ」と父から電話が来て、母が車で迎えに行ったりする。一度、伊東本人にもそういう電話が来たことがあって、「ふざけんなクソ親父」と怒鳴って電話を叩き切ってやった。という話を私は繰り返し聞かされた。

 

伊東はその後まもなく「結婚することになった」ということでその店を辞めたが、半年後にはすぐ近所の別な店で、ほぼ同じ労働条件の似たような店員の仕事をしていた。

 

 


もうだいぶ昔の話で、その後私も家の事情で何度も生活環境が変わって、今は全然違う仕事をしている。相変わらず、経済的にはたいして変わりない暮らしだけど、今はデスクワークの仕事を手に入れ、業務中にコーヒーを飲み、好きな時間にトイレに行き、上司から振られた仕事が多すぎる時は断ったり、期日を伸ばしてもらったりできる。

 

 

私が実名でやってるSNSアカウントが一個だけあって、大学で知り合った同窓生達と繋がっている。たまにログインするといつも威勢の良い政治発言がたくさん見られる(そういう人しかSNSに残らないからだ)。「SNSで差別的なクソリプをするような連中はいったい何なんだ、どういう人達なんだ、本当に信じられないし理解できない」と嘆くような投稿を見かけることも多い。それを見るたびに私は、そりゃ理解できないだろうな、と思う。


周りから大切にされたことの無い人は、自発的に他人を大切にしようとは、なかなか思わない。伊東のような人に人権の話をするなら、まず「あなたにも人権がある」という話から始めなければならない。「あなたはもっと良い暮らしを望む権利がある、依存と共依存をやめない親兄弟から自立し、祖母の老後を公の手に委ね、教育を受け直し、もっと働きやすい職場で、もっと高い給料をもらう権利がある、それが叶わないのはあなたの自己責任ではないのだ」と……それを納得してもらうにはその地域に雇用を増やし、最低賃金を引き上げ、奨学金制度を整え、保育所介護施設と病院を建て、犯罪を減らす必要があるだろう。

 


伊東はあのとき私に「〇〇の人が好きじゃない」とわざわざ言って、私がどんな返事をすると思っていたのだろう。ネットで聞きかじった「政治的な話」を披露して私の顔色をうかがった伊東と、SNSレイシズムを批判して「いいね」をもらおうとする大学の同窓生たちが、私にはそれほど違う人間には見えない。

 

私は、伊東の発言に曖昧に笑ってごまかしたりせず、きっぱりと拒絶した自分は正しかったと、今でも思っている。それでも、そのときの会話を思い出すたびに浮かんでくるのは、「あのときの自分は今より幼かった」「こっちにも事情があっていっぱいいっぱいだった」「もっとつらい境遇にいながら善良な人だって沢山いる」「あいつが先に吹っ掛けてきたんだからお互い様だ」とか、気付けば自分のしてきたことに対する「言い訳」ばかりだ。

 

 

共有しない話

最近の調子は、うーん、悪いですね。胃がダメになってて何を食べても胸やけしてたのはようやく良くなった。けっこう長かった。まだ完治ではないかもしれない。

たぶん食道もちょっと荒れてたみたいで、食後に軽い咳が出たりしてて、バスに乗ったら、近くに座ってた人に警戒された。普通に乗客が少なすぎて、一番近い人が3メートルは離れてたんだけど、その人がもっと遠い席へ移動していった。まあどういうタイミングで無症状感染者になってるか分からないから、絶対にそうしてもらったほうが私にとってもありがたいけど、必要以上に不安にさせてしまうのも忍びないのでマスクの表面に「感染症じゃない咳です」と表示しておきたかったな。

 

先週から今週にかけて、わーっと文章を書いたり調べ物をしたりして勢いよく時間が過ぎて行って、その文章も何か躁気味っていうのか、口調とかに変なテンションがこもっていて、話題も「なぜ急にその話?」みたいなのが多く、それをずっと推敲している間も半日くらい楽しいんだけど、ふと気持ちが落ち込んできて「なにこれ」とか「これをネットに発表していなくて良かったな」と思って全部消す。ということを繰り返した。

その後、昨日と今日は何かの反動のように鬱。何を見ても悲しくてやりきれない。私は鬱になると部屋を片付けなくなるので部屋の状態を見るだけで「調子悪いんだな」とわかる。

 

子どもがたぶん、新学期を迎えた緊張でちょっと眠りが浅くなってて、隣で寝ている私にずっとぶつかり続けるので、あまり寝れていないんだと思う。とにかく眠くて仕方ない。今週は仕事が休みの日があって少し昼寝したんだけど、それでもまだ眠いので、もう一回くらい有給取りたい。

 

最近は、本は全然読めなくて、ネットで色々読むのもだいぶ減っている。小説の連載をいくつか追ってる程度かな? 誰かの日記よりも小説のほうがいい。noteとかに小説と日記を載せると、絶対に日記のほうがたくさん読まれるので、一般的には日記のほうが読みたい人が多いんだと思う。日記はその人の生活や人柄が知れるし、原則は本当に起きたことだから親近感とか、実感が湧きやすくていいのかもしれない。でも私は小説のほうがいい。あと小説じゃなくても絵とかフィクションの漫画とか手芸品とか、「作品」のほうがいいんだよね。それを見ていると作者の心の形がぼんやりと見えるんだけど、実際にどこに住んでいるどんな人で何を考えている人なのかよく分からなくて、どこかには実在しているらしい、顔も知らない遠くの誰か。それくらいの距離感が丁度良いときがある。

 

市販の本とか読むときも、あと映画観るときも、わりとそうで、その人の「作品」に表れているものだけ見たくて、プロフィールとか普段の素顔とかほとんど調べないほうだ。だから私が何かのレビューをするときってだいたい作品名と作者名と内容についてしか書かなくて、何年のどこの国で何のレーベルから出たやつで、これがその人の何作目で……みたいなことは書かない。

 

あと私は子供のときも、今も、「最新の何か」に触れることがほぼなくて、音楽もドラマも映画も小説も漫画も、なんかレンタル屋でとっくに旧作扱いになったくらいのやつを観たりしていて、それを別にわざとやってるわけでもなく生活の都合で仕方なく、とかなんだけど、それが当たり前になりすぎてしまって、気付くと同年代の人の「我々は〇〇がリアルタイムだった世代で……」などの話にまったく付いて行けてない。リアルタイムで何も味わってない。うーん。ネタバレとかも全然気にしないほうでガンガン自分から見に行くし、オチ知っててもやっぱり実際にそれを初めて読むときは楽しい。あと図書館で何か借りようとすると順番通りに揃ってないことが多くて、適当にその日棚にあったもので読むから順番が滅茶苦茶になるんだけど、それはそれでけっこう楽しめるものです。


何かの人気コンテンツを周りの人と同じタイミングで追うということも、たまにはあるんだけど、なんかその「最新のものを共有してる感」が自分にはしっくり来ないのか、戸惑いが出てしまって長続きしなかったり。「他の人と同じ趣味で盛り上がれる」ことよりも、「同じ作品追ってるはずなのに人と感じ方が違う」ことばかりで、それで結局、なまじ同じ作品を話題にしてるせいで余計にやりづらい、ということが多かった。だったら初めから誰とも違うジャンルの、違う作品に接していたほうが、自分だけの感じ方に没頭できるので気楽。「共有しないこと」の楽しさってありますよね。


昔、入院したときに研修で病室に来た学生さんと話して、その人が、まあ旧帝の医学部だからものすごく頭いい人だろうけど、家に3冊くらいしか小説がなくてそれを何度も繰り返し読んでると言ってた。そのとき既に私は小説家志望で、本はできるだけたくさん読めば読むほどいいんだと思って必死で次々と読んでいたから、とても衝撃を受けた。その人の読み方のほうが、本当に小説への愛情がこもってるというか、向き合い方として理想的で正しいという気がしたんだよな。あの人は今ごろ元気かなー。名前も顔も全然覚えてないけど。

 

日々のいろいろ

特に書くこともないけど前回の日記から10日経ったのでなんか日々の様子を書き留めておきます。

去年から、というか去年に始まったことでもないんだけど、鬱や自律神経の不調みたいな症状が出やすくなり、しかし生活面で切迫した状況ではないし治療をするとなると色々面倒で、などと、しばらく言い訳して先延ばしにしてみたものの、回復の兆しが無いどころかわりと悪化し始めてる様子、ということで、ついに病院へ行ったというようなのが前回までのあらすじ。

 

結論としてはけっこう良いです。滑り出しは好調、みたいな感じだと思います。病院にかかる直前から、毎日の気分を顔文字みたいなので記録できるアプリをダウンロードして記録をつけ始めたんですが、2月と3月の一覧が出来上がって、比較すると一目瞭然です。こういうのは自分の直感的な記憶ってぜんぜんあてにならないもので、主観的にはそんなに変わっていない気がする。数字とか記号的なもの(このアプリの場合は顔文字の表情と色)でカッチリと集計すると全然違うとわかる。たいへん良くなってます。

ちなみに今かかってるのは婦人科系で、まずはPMSの症状緩和から手を付けてます。

 

ネットで自律神経の不調について調べるととにかく生活リズムを整える、食事を見直す、そして半身浴をして、みたいな情報がとても多いですが、まあそれが一番副作用の少ない治療法なのでネットで勧めるには丁度いい話なんですが、自分の不調に対してこれを試す場合には何かしら期限を決めておいたほうがいいですね……。結局、「生活の乱れ」と「精神や体調の不調」は卵が先か鶏が先かみたいなところもあって、すでにだいぶやられている場合には「生活を整える」こと自体がハードル高かったりするので。一定期間、生活の改善にチャレンジしてみて、期間内に成果が出なければ他の治療をする、と最初に決めておいた方が良さそうです。

 

それ以外には、三月後半は風邪を引き、それがちょっと治ってきたかと思ったら胃にダメージがきてしまったみたいで、何を食べても胸やけしたり気分が悪くなったりして、おかしいな、こうして日記を書いてみるとぜんぜん体調良くないんだが? もっと違う日記を書くはずだったのに。なにこの病人のカルテみたいな記事は。もう駄目だ私はおしまいだ……

 

体調の話はもうやめることにして、最近観た映画は「キャビン」です。もう事前に評判とか大体のあらすじも知ってて観たのですが、ほんとに評判通り面白かったです。B級ホラー映画をメタ的に扱ったSFアクションなんですよね~。だから画面で起きてることはB級ホラーなのに細部の作りや演出はリッチで見ごたえ満点という。あと思ったより笑える場面が満載だった。私は怖がりであんまり実際のホラー映画を観てきてないっていうのもあって、この映画で「いかにもそれらしい」モノが出てきて「それらしい」ことをしてても、間合いの取り方ひとつでこんなに笑える感じになってしまうのかって、すごく新鮮味もあった。全員死に絶えて血塗れで静まり返ってる廊下でゾンビだけが残って肉をあさってるところとか……説明するとホラーなんだけど、これが、なんか「気の抜けた場面」なんですよね。コントで「ポヨヨヨヨーン」みたいな効果音が入りそうな。それで、あれっもしかしてホラー的な出来事を怖く見せるのってじつは超難しいことなんでは?と思ったりした。本当に化物が出てきて殺戮しまくってみんな死んだら実際には笑えてしまうというか、笑いはしないだろうけど、「うわー。あーあ。片付けどうしよ……」みたいな、怖さより脱力感が出るのかもしれない。

 

地下で生贄を求めている神々というのはホラー映画の観客でもあるということでしょうけど、ラストの締め方に爽快感とともに、「お前もうくだらないホラー映画観るのはこれで卒業するんだよな???」の圧を感じてしまった。えっちょっと待って、まだホラー映画そんなに観てないのに!って勝手に焦った。映画に観る順番なんて無いと思うけど、もしあるとしたらできれば1万本くらいホラー映画を観つづけた人生の締めくくりの1本として観たい映画だった。いやそんな人生いやだよ。